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2008年10月18日 (土)

木造船復活プロジェクトも始動!

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突然ですが、この写真に写っている木、何のための板かわかりますか?

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ちょっと離れてみると・・・?そう、船の形をしていますね!

今、保津川では筏に続いて、かつて保津川下りで活躍した木造船の復活をめざすプロジェクトが始まり、プロジェクト保津川も協力団体として参加しています。

保津川の舟運は、1606年(慶長11年)に角倉了以が保津峡を開削して以来、今年で402年という長い歴史を持っています。角倉了以は岡山を流れる吉井川や高梁川などを行き来していた「高瀬舟」と呼ばれる、浅い瀬も航行できる船を見て、これを保津川でも行き来させられたら丹波の豊かな物資を京都や大坂に運べる、と保津峡の開削を思い立ったそうです。そして、岡山・牛窓から呼び寄せられた船頭や船大工といった人々によって保津川の舟運は幕を開けたのです。

保津川を舟を下らせるにあたっては、急流と巨岩が連続する保津峡を安全に運航するために、他の川では見られないさまざまな工夫が加えられました。その大きな特徴は、高く上がった船首と緩やかな弧を描く「ふくれ」と呼ばれる側面のカーブにあるといえるでしょう。これは「小鮎の滝」をはじめとした急流に突っ込んだ際に、沈み込まないように考え出された形状で、現在もなお保津川下りの船の大きな特徴となっています。

木造船はしかし、急流と巨岩が連続する保津峡を乗り切るためには、頻繁な補修が欠かせず、観光名所として乗船客が急増する中で、やがて経営上の大きな問題となっていきました。船底が水中の岩にぶっかった衝撃で盛り上がり割れ、そこから川の水が船の中に入ってくる事も日常茶飯事だったそうです。

そこで昭和40年代後半から徐々にFRP(強化プラスチック繊維)の舟にとって代わられるようになり、昭和50年代初め頃にはついにその役目を終えてしまいました。現在では、この保津川の木造船に携わった経験をお持ちの船大工さんはたったお一人、筏同様に技術の記録と伝承が大きな課題となっていました。そこで、「保津川の世界遺産登録をめざす会」が中心となって木造船復活プロジェクトが立ち上がり、関係各機関や団体が共同でこのプロジェクトを進めることとなったのです。

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今回の木造船復活プロジェクトで、保津川の最後の船大工・青山匠司さんの指揮のもと実際の作業を担当される保津町の藤阪政美さんの仕事場には、木造船に使われる材木がきれいに製材され、乾燥のために並べられています。ちなみにこの材木、京都市左京区広河原で切り出された杉で樹齢は100歳程度のものだそうです。まさに、保津川の源流域で育った木。京都の木で保津川の船を再現する、ということで山主さんも材木屋さんも大いに喜んでくださったそうです。

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写真右が藤阪さん、左がプロジェクトリーダーの中野さん。プロジェクト保津川の総会でのときに、中野さんは「もう一回でいいから、子供のころから聴いていた大工さんが船釘を打つあの音を、聞きたい」とおっしゃっていました。船大工さんが船釘を打ち込むその音は「ホトトギスの谷間渡り」と呼ばれたそうで、独特のリズムだったそうです。保津の人々が、昔から慣れ親しんできた音、失われて久しいのですが、まさに念願がかなおうとしています。

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亀岡市文化資料館の図録「川船 -大堰川の舟運と船大工」を見ながら、いろいろと昔のお話を教えていただきました。ちなみに作業台の上に乗っているノコギリのようなものは船に使う板をすり合わせる「スリノコ」と呼ばれる道具で、舟の浸水防止にとても大事な役割を果たすものです。

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こちらは舟釘を打つための先導孔を開ける「カタツバ」という工具。ほかにもいっぱい、船大工さんならではの専用工具がありました。

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これが舟の図面。今回復元される舟は、全長12mの、保津川下りの“フルサイズ”の船です。今年中には完成する予定、ということですので、このブログでも逐一レポートを報告したいと思います。

こうご期待!

(H)

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