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2008年12月 3日 (水)

第7回筏流しと舟運技術の聞き取り調査が行なわれました

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今日は亀岡市文化資料館にて、第7回目となる筏流しと舟運技術の聞き取り調査が行なわれました。

今回も、元筏士で船頭でもあった亀岡市保津町在住の酒井昭男さん(81)と上田潔さん(88)に、保津川の筏流しや川舟の技術についてのお話をいろいろ伺いました。特に今回は、戦後行われていた、保津峡谷の中での材木の搬出と、その場で筏を組んでの材木の輸送。

今回もいろいろと興味深いお話を伺うことができました。鉄道が開通してからの保津川の筏流しは保津峡の谷の斜面の材木や、水尾や清滝といった集落から運ばれてきた材木によって行われていました。そこには、かつてのような保津川の上流、京北や日吉からの筏を中継していた時とは異なる、さまざまな営みがあったそうです。

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たとえば、忙しい時期には嵐山通船の船頭さんが助っ人として加わり、協力して筏流しを行っていた、とか、保津峡の山の斜面には木馬道が縦横にあって、川まで直接木を運んでいた、といったように大変興味深いお話でした。

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今回で、お二人への聞き取り調査はひとまず終了です。最後に上田さんが、「筏は、材木の運送の基本中の基本、今はお金さえ出せば、何でも買えるけど、昔は大変な苦労をして材木を運んだ。そういうことを後世に伝えられたら」とおっしゃりました。

そこには、材木を通しての「命のやりとり」があったのはないでしょうか?

木を伐る方、木を木馬(きんま)で山から運び出す方、木を川まで下ろす方、筏を組み流す方、そして下流には筏流しで使ったネソや藤蔓を日々の生活の焚き物とするべく貯木場で待つ人々…。

安全危機管理のない、インフラの整備されていない時代、「命」がけで、材木を搬出し、その材木やそれに付随するもので下流の方々が日々の生活の糧「命」をつないでいた。

そこには、顔は合わすことはないが、人々の「命」の交流があったのではないでしょうか。モノを運ぶだけが運送業ではなく、モノとともにそれにかかわった人々の「命」までもが運ばれ、受け取られていた、また、そう認識されていたのではないでしょうか?

その「命のやりとり」を私たちがどのように感じ、思い、未来に伝えていくのか…。

筏流しの技術の伝承と再現ばかりではなく、その底に流れる精神の伝承と再現の大切さを感じるきっかけとなる、上田さんの「重い言葉」でした。

さて今後も、筏流しの伝承と再現にむけて、さらなる調査を進めていきます。来年の筏復活イベントにむけた準備も着々と進んでいますので、今後も保津川筏復活プロジェクトにご注目ください。

(H)

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