保津川下りの父、角倉了以翁の法要が行われました。
7月12日(日)は、角倉了以翁の命日です。一日早く、千光寺の住職の計らいで保津川下りの船頭衆のために法要を営んでいただきました。
「保津川下りの父」といっても過言ではない了以翁。1606年に約5ヶ月で桂川の上流・世木から保津峡を通って嵐山までの舟運の航路を開削。特に保津峡の開削は難工事を極め、多くの死者が出たと言われています。その菩提を弔い、了以が晩年を過ごされたのがここ「大悲閣・千光寺」なのです。
千光寺から眺める保津川を了以翁はどんな気持ちで眺めていたのでしょうか?
一時は隆盛を極めたこの地も最近では荒廃が続き、無人寺であったこともあるそうです。そこに来られたのが今の大道住職です。檀家がなく資金繰り厳しい中、コツコツを修復を行い、この了以像を守ってこられました。
保津川の恩恵をいただき、保津川下りの先人たちの恩恵を受けながら、船頭として仕事をさせていただいているにも関わらず、この寺は船頭衆にも忘れられつつあります。
仕事の忙しさにかまけて、保津川の多種多様な恩恵を忘れがちになりますが、一年に一度改めてかみしめるのが、この法要の日かもしれません。
この了以像の前に、いつも座ると、叱咤激励されているような気持ちになります。
了以翁の菩提を弔い、工事でなくなった名もなき人々を想い・・・。
400年続く保津川下り、1300年の歴史を持つ筏流し。水運の歴史は名のなき人々によって受け継がれてきました。そして、名もなき私たちがさらに未来へとつないでいく、このままで本当につないでいけるのか自問自答の日々が続きます。
角倉了以翁の命日は、私にとって一年の区切りの日なのかもしれません。
「保津川に 名もなき川守 夢をさす」
(K)
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