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2009年7月11日 (土)

今日は柏原大水害の日です

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保津川の支流、亀岡市内の年谷川のほとりに、その碑は静かに佇んでいます。この碑は、今から58年前の今日(7月11日)、篠町柏原地区を襲った大水害の慰霊碑です。

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戦後の農地整備の一環として年谷川の上流に作られた平和池、池という名称ではありますが実際はダムと呼ぶのがふさわしいものだったそうです。

この平和池は、年谷川右岸、つまりこの写真の場所でカーブしている年谷川の内側にある旧亀岡町地区の要望で作られたそうですが、カーブの外側に当たる篠町柏原地区は洪水の危険が増す、と建設には反対していたそうです。

そしてその懸念が現実のものとなったのが、今から58年前、昭和26年の7月11日だったのです。

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慰霊碑には、次のような文章が刻まれています。

治山治水を以って産業の振興を計らんため災害防止の溜池として科学の粋を集め近代的設計に依り平和池を亀岡町下寒谷に竣工す

偶々昭和26年7月11日未明より豪雨午前9時頃流墨の如き黒雲低迷雷鳴を伴い沛(はい)然として降り頻り9時25分頃年谷川の上流を瞥見するにこわ如何に黒褐色の大波高さ2m或いは3mの水魔西部より一呑にせんと柏原部落に襲来一瞬にして東岸一帯は決壊婦女子は戦々兢々として右往左往するのみ水勢兪々猛威を揮い人家は将棋倒しに家族諸共一大音響を残して流出彼所此所に救命を叫ぶ悲痛な声はすれど施す術とてなく役場に連絡する方途も絶無部落は全く孤立状態に陥り水魔のなす侭に奔放され一望砂礫原の一大惨状と一変す嗚呼愁涙追念断腸の思に堪えず

思えば未曾有の豪雨と平和池決壊に依り被害として水没者75名流出家屋30戸全壊22戸半壊28戸耕作反別30町歩の流出を見る篠村民の協力に依り没死者の冥福を祈るため遭難の地に慰冥塔を建設す

冀(こいねがわ)くば諸精霊速かに宝階に上り疾く一寳の性海に入り報土を荘厳し更に還来して柏原区を加護せられん事を如来大慈大悲哀愍(あいみん)擁護を垂れ給え


 敬て疏す

昭和28年7月建之 青竜山主大融謹書

学校に通っていた生徒は難を逃れることができましたが、集落の家々はほんの数軒を残してほとんどが流されたり倒壊したそうです。「柏原がエライことになっとる!」と急を聞いて急いで高校から帰ってきた、という方からは、道にはいたるところに無残な姿の遺体がまだ放置されたままだった、と聞きました。私が通っていた小学校の体育館も臨時の遺体安置所になっていた、と聞きます。また、もっとも遠いところまで流された人は、兵庫県の明石の海岸で遺体が見つかったとも聞きます。また、保津川下りのベテラン船頭さんによると、このときの水害で保津峡の様子も大きく変わってしまったともおっしゃっていました。

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そんな大水害があったことすら知らない人も今では増えているような気がします。かつて濁流に飲まれた場所には、今では新興住宅地が立ち並んでいますが、はたして水害のリスクをきちんと伝えているのだろうか、そんなことも心配になります。

災害は忘れたころにやってくる、といいます。水害も含めてどのように川とつきあうのか、今一度、考えてみる、そういう1日であってほしいと思います。

(H)

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