嵯峨・車折神社で筏で運んだ玉垣の奉納式が行われました
車折神社は三条通に面しています。このあたり一帯には今でも製材所や材木屋さんがたくさん並んでいます。なぜ京都の町中に製材所、と思われるかもしれませんね。丹波山地から筏に組まれて保津川を下ってきた材木は、現在の嵯峨芸術大学のあたりの貯木場にたくわえられ、西高瀬川を使って京都の町中に運ばれました。そしてその西高瀬川にそって、製材所が立ち並んでいたのです。
朝まで降っていた雨で、しっとりと石畳が濡れています。車折(くるまざき)神社、という名前は、後嵯峨天皇の大堰川遊幸の際、社前で突然牛車の轅(ながえ)が折れてしまい前に進めなくなったので、還御の後に「車折大明神」の神号と正一位の神階を贈ったためといわれています。
境内の社には「天宇受売命」を祀る芸能神社があることから、芸能・芸術の分野で活動する人々より強い崇敬を受けています。有名人のお名前もあちこちに!ぜひお訪ねになった際には、お気に入りのあの人の名前があるか、探してみてください。
境内では枝垂れ梅が見頃を迎えていました。やさしいほのかなピンク色が、ほっと心を和ませてくれます。
さて、式典が太鼓の合図とともに始まります。
しばらくの後、神主さんたちがお見えになりました。
雅楽の音にあわせて、厳かに、雅やかに神事が進んでいきます。
関係者が順番に玉串を捧げます。京筏組を代表して、プロジェクト保津川の河原林理事と早田理事が神職より玉串を授かり、奉納しました。
神社の境内は、京都だなあ、という雅な空気が満ちていました。
社殿での式典のあと、修復の終わった大国主社と稲荷社の前に移動して、お祓いとお披露目が行われました。
最初に、京都環境計画研究所の方が、今回の修復事業や筏流しの解説をしてくださいました。
玉垣に貼り付けられた記念の銘板をみなさんご覧になっていました。
これが銘板。京セラの稲盛和夫さんなんてビッグネームもさらっ、と書かれています。
そして、この銘板の冒頭に、「大国主神社玉垣用檜材原木奉納(保津川筏流しにて) 京筏組」と記していただきました。最初、奉納されたみなさんの名簿を見ながら「あらへんな~、どこに書いてあんのやろ?」と思っていたら、最初に大きく書いていただいてあるを見つけてビックリ!
2007年に始まった保津川の筏復活プロジェクト、最初のうちはとにかく筏を組むことだけで精いっぱいでしたが、ついに材木をまちで利用してもらう、というところまでたどり着けました。これをきっかけに京都の山の木を、京都の運び方で運んで、そして京都の町中で使っていただく、本当の材木の地産地消につなげていければ、と思います。
帰り道、近くの京福電車・車折駅を通りかかると、新しく作られている駐輪場で面白いものを発見。駐輪場の外灯はソーラーと風力発電で賄われるそうです。
ほのかに山の木々もピンク色に芽吹いてきました。トロッコ列車も1日から営業を再開しましたし、水曜日(10日)には保津川下りも川開き。保津峡にも、春はもうそこまで来ています。
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